since 2018.01.01

1991年生まれのライター/千葉/ボカロ、歌い手界隈中心

文字だけでは

ネット上だと基本その人の声を聞くことよりも、文字が主な伝え方の手段となっているから、その人を印象づけるものがたいてい、文字。知らず知らずのうちに文字が、他人の像を作り上げている。絵文字が多い人だと、テンション高そうとか、批判的なことばかり書いてるひとはちょっと病んでそうとか。男の人にしては、ゆるい文章を書く人なら、男っぽくはないのかな...とか。

もちろん、文章を書いた人が思い付いた言葉をそのまま書いているわけだから、その人の頭に出てきた文章であることは間違いない。でも、その文章を読んだ人は、その文章を書いた当人が心で話した文字を同じトーンで、その通りに読めているとは限らない。読む時のニュアンス的なものは全然違うかもしれない。きっと、心の中で明るいトーンで話して、書いたんだろうと思っても、実際には、その文字を書いた当人は結構暗いトーンで話しているかもしれない。だから、文章を読んだ人が、きっとこんな感じで話しているんだろうなと推定をするのは、あまり良くないのかもしれない。書いた当人には当人のトーンがあって。読んだ人が、感じているトーンとは別。同じということもあるだろうけど。だから、この人はきっと、こんな人だというのは文字から当てることはかなり難しいのかもしれない。だから、文字だけで、判断するのは勿体ない。例えばいくら、かわいいアイコンが当人のイメージを作っていても、実際には、暗いというパターンも同じ。やっぱり、ひとは他人のことをきっと、こんな人だと決めつけることは不可能に近いのかも。文字を書いたら、そのあとは、読者により、勝手にイメージが作られていく。文字は独り歩きして、人へ勝手にその人のイメージを作りあげている。だから、文章や、イラストからきっとこんな人なんだろうなと思っていた人に会ったときに、実際には全然違った姿だったということがあれば、本当のその人というのは、実際に会ったその姿にあるのではないかと思った。つまり、文章やイラストから自分がいままで勝手に作り上げていたイメージのほうこそ、偽物だったということ。とはいっても、会ったその人も、その時に応じて、姿を変えているかもしれない。その時の自分は企業用の自分かもしれないなど。考えれば、考えるほど、他人の本当の姿ってわからない。結局、本当の姿がわかるのは、本人でしかないということなのか。文字だけではその人の表情も声もわからないから、理解するためには、文字を離れないといけないということがわかる。でもその逆も然り。本当の答えは多分どこにもない。考えれば考えるほど謎が深まるばかり。

寂しい心は歪な心に

岡崎体育の「龍」

寂しい心を持つと偏った成長を遂げてしまうもの
あなたには愛がある

 

これ、本当のことだな...そう思った。

 

あいみょんの「ひかりもの」

だいたいのことでは傷ついてきた
恋仕事生活家族や
捨ててしまいたいと悩む事ばかりだよ
繋ぎ止めたいと思うものばかりなんだよ


そりゃもっともっともっと
私の身体が
誰かにずっとぎゅっと
触れていたなら


心は優しくなれたかな
身体は柔らかく温まって
はじめよう 新しい何かを今
つまらない事ではもう
泣かないぞ

 

これも、本当のことだな...。これも、寂しい心を歌っている。

 

様々な軋轢により、随分と歪な形になってしまったけど、もし、丸い心がすっぽりと入れる場所があったなら、歪な形にはならなかったんだろうな。入れる場所を探して、探して、でも、違って、また、違ってを繰り返し、行き着いた先もまた違った。もしかしたら...と希望を見出せる予感がしても、結局は違った。それに、入れたとしてもそれは偽物で、1番ではなかった。だから、すぐにそこから離れた。離れるしか無かった。だから、いつも、不安定で転がっての繰り返し。気付けば、どこにも収まりきれずに変な形になってしまっていた。試している間はわからない。気付けば、そうなっていた。もし、本当の場所を見つけ、安心できる場所があれば、きっと、ここまで、歪ではなく、もう少し丸く、大きな心でいられただろう。どこか変わってるのもそのせいなんだろう。伝えたいことを伝えられずに、終わってしまう、そもそも、本物を知らないから、自分止まりで、変になってしまう。本物を知ってる人は豊かに見えるのだ。大人に見えるのだ。偽物ばかりでなく、本物に出会えたなら、歪な心も丸くなっていくのか。

『おとぎ』リリース前にEveについて綴る

ボカロ曲やBUMP OF CHICKENや、RADWIMPSKANA-BOONなどの邦楽を“歌ってみた”として、カバーしていた頃は、お洒落でゆるくてふわふわしている、このイメージが強いEveだった。実際に、表に出るEveがそうだったから。もちろん、いまのEveを見ても、この第一印象は変わらない。ただ、Eveの楽曲を魅せる上での内情の変化は確かに楽曲に表れている。

2014年にリリースしたゆりんとの共作『oyasumi』収録の「おやすみ」では、Eveが作詞を担当し、2015年にリリースされたRiot of color(夏代孝明、ゆりん、Eve、S!N、kradness、KKがメンバー)の2ndアルバムの収録曲の「sister」ではEveが作詞作曲を担当した。「sister」は後に、動画サイトでも、投稿されて、Eveは、ボカロPとしての活動もスタートさせたように見えた。ただ、そこまでは外から見たEveの印象が変わることはなく、そのままのEveだった。

Eveの心の変化が見られ始めたのは、2016年にリリースされ、初の全国流通盤となった3rdアルバム『OFFICIAL NUMBER』からだった。Eveが自分のアルバムに、作詞作曲楽曲を取り入れ始めたのは正確にいえば、2015年にリリースされた2ndアルバム『Round Robin』。けれど、『Round Robin』の後にリリースされることとなった『Round Robin』の収録曲「メルファクトリー」の再録音バージョン、さらに、「sister」の再録音バージョンに加え、カバー曲、提供された曲を含め、新たな自作曲も取り入れた作品となった『OFFICIAL NUMBER』のほうが、より、Eveの心情と読めるフレーズが少しばかり多く並んでいるように思えた。なかでも、Eveの若干の内情を映し出していた代表格ともいえると思う曲は、「キャラバン」、「ショートアンブレラ」。いままで“歌ってみた”動画をあげることが多かったからこそ、同アルバムには少し人間味のようなものが、出ている楽曲達が生まれ始めてきたような気がした。何か、変化が起き始めている...歌詞から、人間味が出てきたよね、そう思った人は少なくなかったと思う。

それからの2017年4thアルバム『文化』リリース前にYouTube動画に投稿されることとなった「ナンセンス文学」は『OFFICIAL NUMBER』の自作曲とはまた、全く違った系統の楽曲だった。誰もが驚いたと思う。ただ、〈僕ら馬鹿になって宙に舞って、今だけは忘れてラッタッタ(ラッタッタ)〉のフレーズには、まだ、真っ黒な感情に染まり切っていないEveが残っているように思えた。

そして、その後、動画サイトにて投稿された「ドラマツルギー」が、Eveのイメージを破壊するターニングポイントとなる楽曲だった。そこには、ゆるいEveが、どこにもいなかった。完全に心に闇を抱えた少年をEveは演じていて、そこにはゆるいはひとつも存在しなかった。「ドラマツルギー」には、かなり衝撃を受けて、ただただ、Eveがひと皮脱いだ...。そう思えたものだった。いままで、表に見せていなかったEveを見た気がした。「ドラマツルギー」の印象そのものが、本当のEveの姿だとすれば、事件だと。

そして、2017年12月には全作詞作曲の『文化』をリリースした。「sister」も感情移入してしまいやすい曲だったけれど、「ホームシック」や「羊を数えて」はさらに広く感情移入してしまいそうな楽曲だった。一方で闇テイストの楽曲達に関しても、社会の荒波に揉みくちゃにされる時代だからこそ、良い意味で感情移入することができた。もう、人間味溢れた楽曲でいっぱいのアルバムだった。そのなかでも「会心劇」が『文化』のなかで、最も重要な楽曲ではないかと思えた楽曲だった。

 

 

全て失ったって

誰になんと言われたって

“己の感情と向き合ってるのかい”

そうやって僕を取り戻すのだろう

 

 

ここに歌われているのは本当のEveの姿をさらけ出すことを覚悟したこと。歌を歌う中で、本当の自分を見せたいという自我が芽生えていく。ついに本当の自分をさらけ出さずにはいられなくなったEveが選んだのは、いままでの自分のキャラクターが、好きで応援してくれていた人達が離れていってしまったとしても、しょうがない。いまは、それよりも、自分の感情を大事にしていきたい。という気持ち。Eveは、周りの目よりも、自分の気持ちに正直になることを選んだ。「会心劇」のこのフレーズからは、そんなEveの気持ちが読み取れた。ちなみに「ラストダンス」までは本当の自分を見失っている人を描いているように見える。MVには、同じ人でも、いくつもの履歴書が映るシーンがあった。それは、いくつもの自分という人間を作り上げてきてしまったせいで、本当の自分がどの自分なのか、わからなくなってしまっている人の象徴だろう。

注目を集めた「ナンセンス文学」や「ドラマツルギー」、「アウトサイダー」、「トーキョーゲットー」あたりのMVを観て、Eveを知る人は多い。楽曲だけを聴けば、Eveにゆるいのイメージは浮かばないかもしれない。心に闇を抱えているんだなと思うかもしれない。けれど、そのイメージで入ったらきっと、そのあとのEveを知った時に、どこかEveに対して、安心する部分があると思う。イメージの転換だ。一方で、それ以前にEveを知っていた人ならば、「ナンセンス文学」で、ダークな面もあるんだなと衝撃的な事実を知ったことに。そう考えるとEveに関しては「ナンセンス文学」以降の楽曲がそれぞれのファンによるEveへのイメージを180°転換させたきっかけとなったということだとわかる。それぞれのファンが、楽曲を聴いて、こう捉えていたEveが、実はこんなEveだったんだと。ただ、ゆるいもダークっぽさがあるもどちらに関しても、本当のEve。人の性格をひとつに絞れるなんてことはないのだから。それよりも、『おとぎ』を、きっかけにして、もっともっと、楽曲を通して、無色から、白黒、そして、色鮮やかな色まで、いろんな人間味のある面を魅せてくれることに期待したい。いままでもワンマンライブは行っていたEveだけれど、昨年のワンマンライブ『お茶会』や『メリエンダ』の開催で、またひとつEveの見る世界に新たな彩りを付けることとなったのだろう。

いま、なによりも楽しみなのは、2月6日にアルバム『おとぎ』がリリースされること。こちらに収録された「僕らまだアンダーグラウンド」のMVは、Eveが好きな世界観がしっかりと描かれているものになっていると思えた。Eveの良いところは、着実に自分の好きなものを自分の作品に取り入れていっていること。なにより、ひとりではなく、直接のやり取りを通して、好きなクリエイター達とともに、素敵な作品を作り上げていること。いま、そのチームワーク力は留まることを知らないほどに大きくなっていて、特に「僕らまだアンダーグラウンド」のMVを観たときにそう感じた。自分で映像を作ることはないけれど、そうでなくても、ここまで素晴らしい作品を作り上げるのにも、あらゆる努力が必要だろう。好奇心旺盛で周りを巻き込む力が特段あるEveだからこそ、楽曲以外の映像などにまで、磨きがかかる。それは素晴らしいことだと思う。Eveの楽曲には、いまではクリエイターと新しく作り上げるオリジナルのMVが欠かせないものになった。

『おとぎ』収録の「アウトサイダー」「トーキョーゲットー」など既に公開されている曲以外は、いままでのEveのアルバム収録曲とは異色の歌詞、サウンドとなっていること間違いない。『おとぎ』を聴いたらきっと、映画を観ることに近い感覚で、その『おとぎ』の楽曲の物語に引き込まれてしまうと確信している。

ある種の恋みたいな

DAOKOの「終わらない世界で」が、なぜかとても好きな曲になっているので、曲分析をしてみたのだけれど、この過程って、恋に似ているような...というのも、

ある人(を好きになる)→なんで好きになったのか考える→その人のことを詳しく知りたくなる

という流れを恋した流れとするならば、曲分析に至った流れも

...曲(を好きになる)→なんで好きになったのか考える→その曲のことを詳しく知りたくなる(曲分析してみる)

恋の流れと同じような流れだから。

簡単に人を好きになることは難しいのに、簡単に音楽には恋してる。

恋でいえば、好きな人を見る→どきどきする

の流れかもしれない。でも、どきどきするの間に入るのは、想像。好きな人がいても、それだけではなかなか。こんなことがあればいいなと想像するからロマンティックさが増して、よりどきどきするんじゃないかな。

と考えれば、この曲の場合、好きな曲を聴く→わくわくする 確かに曲を聴けば、それだけで、わくわくするものだけれど、わくわくする前に、なにかを想像しながら、曲を聴くほうがより、わくわく度が増す。

つまり、人や曲はツールでしかないけれど、人は想像することができる能力を持ちうるから、より、人や曲が輝くということ。

好きと言われても、誰のことでも簡単に好きになることはできない。だけど、曲なら、大抵好きになれる。社会で生きる上での支えを作るとしたら、それは簡単には見つからない結婚相手とか、恩人とかになってくるんだろうけれど、音楽は誰にとっても生きる上での支えになってくれる。だから、誰もが自分の心の拠り所を音楽に寄せるようにして、いろんな音楽を好きになるんだと思う。社会で、"本当に心から感謝しきれない好きな人"というのは、数えるほどいないはずだから。音楽には、人を支えてくれる無限の可能性がある気がする。それに、加えていうならば、音楽ならいくら好きで聴いていても、傷つくことはそうそうない。そういう安心感も人に恋することと違った魅力の一つ。

青に歩く/宮下遊 レビュー(短め)


f:id:u-world:20181221141723j:image

今年のボカロシーンを賑わせた、話題の「ロキ」を含めた有名ボカロPによる書き下ろし含めた全11曲で構成されたメジャー2ndアルバムは、千姿万態な声を浮遊させるように歌う宮下遊の真髄を玩味できる作品に完成。『青に歩く』ではないが、まさに、顔色が青くなるような感覚を覚えたのは、1stアルバムでもコラボしたきくおによる書き下ろし楽曲「舞台性ナニカ」。〈ぼくわたしおれと たくさん持って いくつもの仮面と虚飾 魅力的じゃなきゃ どこにもいられない〉一瞬で汲み取った。仮面という名の声を使い分ける宮下遊、そのものではないか。そして最後に、彼が向かう青とは一体いかなる場所か。その答えは、『青に歩く』とリンクさせた、シャノンによる書き下ろし楽曲「青へ向かう」で見つけられるだろう。

自由になりたい気持ち

仮面を被った僕はもういない

「僕はもういない」のAメロにもあるように、彼はデビュー当時は夢見がちな少年だった。しかし、アーティスト活動をしていく中で、周りから天才などと呼ばれるようになり、いつの間にか彼は"こうなりたい自分"像よりも"みんなのいう天才の自分"像を作り上げていくことに必死になっていった。まるで誰かに山頂まで登れと言われるまま、ただ我武者羅に坂を登り進めていくように。そこで残酷なのは、登ってきた跡を振り返っても無心であり続けたために、どうやって登ってきたのかを覚えていないということ。だからきっと「僕はもういない」で〈仮面は形さえ記憶に残っていない〉というのだろう。この仮面は彼の裏の顔=偽りの自分を表していると思う。天才というイメージに縛られ、自分らしくいられない日々は彼にとって残酷で、楽しい過去をお覆い隠すほどのものだった。つまり、彼はリスナーの要望に応えるべく、素敵な音楽を作り上げてきた一方で、"自分が自分らしく生きていない"ことにずっと不自由さを感じ、もがき苦しんでいたのだ。彼がひたすらに突き進んできた跡にはモクモクと闇が掛かっている。このままここにいれば、この先の道も闇に掛かっていく。闇は自分で振り払うこともできないくらいに大きくなってしまったからこそ、意を決して新しい道を進むことに決めたのだろう。自分らしい生き方を優先することはとても大切なことではあるが、そこには何かを手放すことに対する不安と覚悟が存在した上での決断ということになる。つまり、彼の人生における重要な決断なのだから、辞めることを無責任だとは言いきれないし、彼も安易に考えたわけではないだろう。Twitterでは「結局のところ、他人からどう思われているのかに執着し続けた3年間でした。」とコメントしている。辞めること自体は、"これからは自分の気持ちを大切にしたい。自分らしく生きたい"と思った素直な気持ちからの判断。今までの彼が仮面を被っていたのであれば、ここで仮面を外した時からが彼の新たなスタートとなる気がする。

 

リスナーとして

私たちリスナーが本当の彼の心の闇を確信できたのは、彼がアーティスト活動を辞めると発表した時からであり、彼の心が感じていた闇の期間は少し前からの3年間だ。今の彼の闇っぽさを感じさせるTwitterの呟きは、少し前の期間の彼の感じていた気持ちだ。リスナーが彼の本当の闇に気付いた今この時でさえも、彼の心には消えない深い闇が残っている。しかし、それはもう葬りたい過去の話であり、今の彼の心には僅かながらも恐らく新しい未来への光が差していると思う。過去の隠していた気持ちを暴露することで過去を葬ろうとしているように思える。アーティスト活動は今すぐに辞める訳では無いが、もう既に彼は新しく"こうなりたい自分"像を描き始めているのかもしれない。だからこそ、残りの彼のアーティスト活動では彼を優しく見守るのが彼にとっていいことなのではないかと思う。

 

結果的に羨まれる

当然ながら将来どうなるかとかは誰にもわからないことだが、やりたくないことをやり続けるよりも、やりたいことをやると決意した人には芯があり、かっこいい。やはり彼はここでも他人から羨まれる行動をしているともいえる。才能がある上に勇気を持った行動をとることができる人だからこそ、他人に嫉妬される。例え、才能があってもそれを隠したまま生活していれば、誰からも羨まれることはないだろう。寧ろ誰もその才能に気づくことはないのだから。才能の先にアーティストとして行動してしまったからこそ、羨まれる存在となるのだ。だから、彼が押しつぶされてしまったのは才能の上に勇気ある行動が重なり、極限まで彼を彼自身が支配してしまっていたからではないかと思う。しかし、勇気ある行動は悪いことではなく、それを見た人が何らかの影響を受けて「じゃあ私も動こう」となることだって沢山ある。自分のやりたいことをやるといった彼の言葉から励まされる人だっているだろう。物事は表裏一体ではあるが、いずれにしても彼の前向きな姿勢で表す行動は他人から羨まれるものに行き着く。

心の内をさらけ出した「メリエンダ」東京・TSUTAYA O-EAST公演

8月16日にEveによる「メリエンダ」の東京・TSUTAYA O-EAST公演が行われた。

 

今回は過去のEveのライブと比較すると、演出面で様変わりしており、ライブがスタートする開演前からファンをワクワクさせるアーキテクチャが施されていた。観客は最初から会場のステージ側の大きなディスプレーに皆釘付け。そこにはEveのオリジナル楽曲のMVに出演してきたひとつめ様などのお馴染みのキャラクターが個々に映し出された。


f:id:u-world:20180823224415j:image

 

ある家の中で、少年がソファーに寝転がったり、キャラクターがシャワーを浴びたり、掃除をしたりなど、映像はシーンごとに移り変わっていく。


f:id:u-world:20180823224558j:image

 

誰かがインターホンを鳴らしても、少年はソファーから離れることなく、更にはお菓子を手に取る場面もあり、扉まで歩いていくのがとても億劫である様子が窺える映像となっていた。



f:id:u-world:20180823224448j:image


f:id:u-world:20180823224500j:image

まだEve本人は登場していないにも関わらず、お馴染みのキャラクターが登場する度に会場内にファンの歓声が上がるという異様な光景でもあった。開演5分前になると、また新たなシーンが出現し、またもや誰かがインターホンを押す。すると、先程の少年がやっと立ち上がり、扉を開けるという展開に。

暫くすると突然、天候が雷雨に見舞われ、その雷の音にあわせて、観客の腕についたLEDリストバンドが白く光り出す。音と光の見事な共鳴は、歌の始まりがもう近いことを知らせているようだった。

その後、トーキョーゲットーに出演するキャラクターが音楽と重なるように共に映し出され、トーキョーゲットーからスタート。

イントロが終わった途端、画面のMVのカラーが少し薄くなり、画面と入れ替わるようにして(正式には入れ替わらないが)Eveが画面の裏側の中央に現れた。そして、そのままEveはトーキョーゲットーを歌唱した。


f:id:u-world:20180816230733j:image

 

そして、ステージ側からの抑えきれない気持ちを爆発させるように幕が下ろされ、Eveとバンドメンバーが登場。そして、「アウトサイダー」を披露。

その後も定番の「ナンセンス文学」、「ドラマツルギー」を含めたロックテイスト溢れる楽曲を怒涛の勢いで歌い上げていく。

「僕は幼少期のことをよく覚えていて、その気持ちを忘れたくないという気持ちで作りました」と哀愁を漂わせ、メロウな楽曲である「ホームシック」も歌唱。暖かみのあるメロディと優しい歌声が会場全体に響き渡り、観客を魅了した。

 

今回のライブで特別印象に残ったことを挙げるとすれば、それはEveが自身の性格について少し触れた点だろう。

「結構、闇のある楽曲を作っているので、Eveって闇を抱えている人なのかなーとか思う人もいるんじゃないかなと思います。

僕はみんなからゆるいとかふわふわしてるとか言われることが多いんですけど、実際はそんな根っから明るい方ではなくて...どちらかというとネガティブなんです。ネガティブな人間なんです僕。」と真摯な表情で観客に言葉を放つシーンがあった。

ちなみに、昨年にリリースしたアルバム『文化 』は、闇ともいえる部分を楽曲により晒すことで、今までのEveの可愛い印象をEve自身が大胆に覆したともいえる革新的なアルバムとなった。『文化 』の収録曲から間接的に自身の闇の部分を少しずつ曝け出してきたが、今回のライブのタイミングで、面と向かって自分の口から本音(闇の部分があることも)を伝えたのだ。それはもう勇気ある行動だった。

同時に、開演前のディスプレーの映像の少年の扉を開けるに至るまでの行動が、今回のライブでのEveが本音を話すところまでの行動に通じていたようにも思えた。少年が最後にやっと扉を開けたように、Eveもまたひとつ心の内を話すことで、心の扉を解放したのだろう。


f:id:u-world:20180816230758j:image

 

アンコールでは、可愛らしい楽曲である「惑星ループ」を披露。続いては、みんなを笑顔にさせたいという想いが詰まったような楽曲「お気に召すまま」を歌唱。アウトロでEveがフィンガースナップを鳴らす合図によって楽しい雰囲気が維持されたまま、この日のライブはフィナーレを迎えた。

 

そしてライブ終了後には、未発表曲が流れると同時に、両端の小さなディスプレーから11月4日に東京・新木場STUDIO COASTで東名阪ツアー「メリエンダ」の追加公演を実施することが告知された。

 

Eveの内に秘められた想いがやっと解き放たれた瞬間は感動的で、またひとつスターダムに駆け上がった瞬間に立ち会えたようなライブだった。

次回の追加公演はEveのライブ史上、最大規模の会場で開催される。ますます進化を遂げるであろうEveに注目だ。

 

画像:EveのTwitterより