since 2018.01.01

1991年生まれのライター/千葉/ボカロ、歌い手界隈中心

階段と隣合わせのエスカレーター

「自分明日休みなんですけどー、今日一緒に飲みませんかー?(同僚)」「疲れてるから、ごめん(私)」

こんな電話のやりとりから、お互いの気分について、真逆的なもの(上下)を感じ、一瞬で私の脳はその違いを階段の上りと下りに変換していた。階段を上っていく(テンションも上がっていく)のが同僚で、階段を下りていく(テンションは下がっていく)のは私。確かに仲はいいけれど、いま、疲れ切っている私からすると、同僚の楽しそうな声はあまり欲しくはない。一瞬で、気持ちに明らかな差が生まれていくのがわかった。

とてもブルーな感情になっている私には、誘ってもらったことへの嬉しい気持ちも芽生えず、それよりか、"今は誰かと飲んで4時間程度を過ごすより、一昨日に買ってウォークマンに入れたCDアルバムの曲を一秒でも早く聴いていたい。"という篭もりがちな気持ちの方が強かった。今までであれば「行くー」と答えていたはず。気分屋ということもあるけれど、最近の頻繁な飲み会のおかげで、飲み会が好きだなーと思っている私が誘いを断るなんて、割と珍しい。最近は割と疲れているから、仕事終わりに、ジムへ直行しようというような有り余った元気もない。

2人の真逆な感情については、階段で例えるより、隣合わせの上下逆のエスカレーターにそれぞれがいるといえば、少しはわかりやすくなるかもしれない。エスカレーターのそれぞれにいる2人は、顔を合わせることはあるけれど、永遠と居場所が一致することはない。無駄に天井も底も見えないまま上り下りしていく。だから無駄な道というものは、意外と長く歩いてしまって後々振り返って後悔することがある。 ただ、もし階段がひとつしかなくてその上でのやりとりならば、いつか2人の居場所は一致する。運命的なものも、ひとつの階段をきっかけにやってくるのだろう。案外上手くいく時は、階段で物を落とした人にすぐに声をかけることができるように、トントン拍子に進むことが多い。

決めつけてしまうのは、もちろんいいとは言えないけれど、ダラダラ時間だけが過ぎるのは勿体ない。

きっと2人はひとつの階段上ではなく、別のエスカレーターを上り下りしていく。そう思って、断ってしまっただけの話。