since 2018.01.01

1991年生まれのライター/千葉/ボカロ、歌い手界隈中心

ある種の恋みたいな

DAOKOの「終わらない世界で」が、なぜかとても好きな曲になっているので、曲分析をしてみたのだけれど、この過程って、恋に似ているような...というのも、

ある人(を好きになる)→なんで好きになったのか考える→その人のことを詳しく知りたくなる

という流れを恋した流れとするならば、曲分析に至った流れも

...曲(を好きになる)→なんで好きになったのか考える→その曲のことを詳しく知りたくなる(曲分析してみる)

恋の流れと同じような流れだから。

簡単に人を好きになることは難しいのに、簡単に音楽には恋してる。

恋でいえば、好きな人を見る→どきどきする

の流れかもしれない。でも、どきどきするの間に入るのは、想像。好きな人がいても、それだけではなかなか。こんなことがあればいいなと想像するからロマンティックさが増して、よりどきどきするんじゃないかな。

と考えれば、この曲の場合、好きな曲を聴く→わくわくする 確かに曲を聴けば、それだけで、わくわくするものだけれど、わくわくする前に、なにかを想像しながら、曲を聴くほうがより、わくわく度が増す。

つまり、人や曲はツールでしかないけれど、人は想像することができる能力を持ちうるから、より、人や曲が輝くということ。

好きと言われても、誰のことでも簡単に好きになることはできない。だけど、曲なら、大抵好きになれる。社会で生きる上での支えを作るとしたら、それは簡単には見つからない結婚相手とか、恩人とかになってくるんだろうけれど、音楽は誰にとっても生きる上での支えになってくれる。だから、誰もが自分の心の拠り所を音楽に寄せるようにして、いろんな音楽を好きになるんだと思う。社会で、"本当に心から感謝しきれない好きな人"というのは、数えるほどいないはずだから。音楽には、人を支えてくれる無限の可能性がある気がする。それに、加えていうならば、音楽ならいくら好きで聴いていても、傷つくことはそうそうない。そういう安心感も人に恋することと違った魅力の一つ。