since 2018.01.01

1991年生まれのライター/千葉/ボカロ、歌い手界隈中心

『おとぎ』リリース前にEveについて綴る

ボカロ曲やBUMP OF CHICKENや、RADWIMPSKANA-BOONなどの邦楽を“歌ってみた”として、カバーしていた頃は、お洒落でゆるくてふわふわしている、このイメージが強いEveだった。実際に、表に出るEveがそうだったから。もちろん、いまのEveを見ても、この第一印象は変わらない。ただ、Eveの楽曲を魅せる上での内情の変化は確かに楽曲に表れている。

2014年にリリースしたゆりんとの共作『oyasumi』収録の「おやすみ」では、Eveが作詞を担当し、2015年にリリースされたRiot of color(夏代孝明、ゆりん、Eve、S!N、kradness、KKがメンバー)の2ndアルバムの収録曲の「sister」ではEveが作詞作曲を担当した。「sister」は後に、動画サイトでも、投稿されて、Eveは、ボカロPとしての活動もスタートさせたように見えた。ただ、そこまでは外から見たEveの印象が変わることはなく、そのままのEveだった。

Eveの心の変化が見られ始めたのは、2016年にリリースされ、初の全国流通盤となった3rdアルバム『OFFICIAL NUMBER』からだった。Eveが自分のアルバムに、作詞作曲楽曲を取り入れ始めたのは正確にいえば、2015年にリリースされた2ndアルバム『Round Robin』。けれど、『Round Robin』の後にリリースされることとなった『Round Robin』の収録曲「メルファクトリー」の再録音バージョン、さらに、「sister」の再録音バージョンに加え、カバー曲、提供された曲を含め、新たな自作曲も取り入れた作品となった『OFFICIAL NUMBER』のほうが、より、Eveの心情と読めるフレーズが少しばかり多く並んでいるように思えた。なかでも、Eveの若干の内情を映し出していた代表格ともいえると思う曲は、「キャラバン」、「ショートアンブレラ」。いままで“歌ってみた”動画をあげることが多かったからこそ、同アルバムには少し人間味のようなものが、出ている楽曲達が生まれ始めてきたような気がした。何か、変化が起き始めている...歌詞から、人間味が出てきたよね、そう思った人は少なくなかったと思う。

それからの2017年4thアルバム『文化』リリース前にYouTube動画に投稿されることとなった「ナンセンス文学」は『OFFICIAL NUMBER』の自作曲とはまた、全く違った系統の楽曲だった。誰もが驚いたと思う。ただ、〈僕ら馬鹿になって宙に舞って、今だけは忘れてラッタッタ(ラッタッタ)〉のフレーズには、まだ、真っ黒な感情に染まり切っていないEveが残っているように思えた。

そして、その後、動画サイトにて投稿された「ドラマツルギー」が、Eveのイメージを破壊するターニングポイントとなる楽曲だった。そこには、ゆるいEveが、どこにもいなかった。完全に心に闇を抱えた少年をEveは演じていて、そこにはゆるいはひとつも存在しなかった。「ドラマツルギー」には、かなり衝撃を受けて、ただただ、Eveがひと皮脱いだ...。そう思えたものだった。いままで、表に見せていなかったEveを見た気がした。「ドラマツルギー」の印象そのものが、本当のEveの姿だとすれば、事件だと。

そして、2017年12月には全作詞作曲の『文化』をリリースした。「sister」も感情移入してしまいやすい曲だったけれど、「ホームシック」や「羊を数えて」はさらに広く感情移入してしまいそうな楽曲だった。一方で闇テイストの楽曲達に関しても、社会の荒波に揉みくちゃにされる時代だからこそ、良い意味で感情移入することができた。もう、人間味溢れた楽曲でいっぱいのアルバムだった。そのなかでも「会心劇」が『文化』のなかで、最も重要な楽曲ではないかと思えた楽曲だった。

 

 

全て失ったって

誰になんと言われたって

“己の感情と向き合ってるのかい”

そうやって僕を取り戻すのだろう

 

 

ここに歌われているのは本当のEveの姿をさらけ出すことを覚悟したこと。歌を歌う中で、本当の自分を見せたいという自我が芽生えていく。ついに本当の自分をさらけ出さずにはいられなくなったEveが選んだのは、いままでの自分のキャラクターが、好きで応援してくれていた人達が離れていってしまったとしても、しょうがない。いまは、それよりも、自分の感情を大事にしていきたい。という気持ち。Eveは、周りの目よりも、自分の気持ちに正直になることを選んだ。「会心劇」のこのフレーズからは、そんなEveの気持ちが読み取れた。ちなみに「ラストダンス」までは本当の自分を見失っている人を描いているように見える。MVには、同じ人でも、いくつもの履歴書が映るシーンがあった。それは、いくつもの自分という人間を作り上げてきてしまったせいで、本当の自分がどの自分なのか、わからなくなってしまっている人の象徴だろう。

注目を集めた「ナンセンス文学」や「ドラマツルギー」、「アウトサイダー」、「トーキョーゲットー」あたりのMVを観て、Eveを知る人は多い。楽曲だけを聴けば、Eveにゆるいのイメージは浮かばないかもしれない。心に闇を抱えているんだなと思うかもしれない。けれど、そのイメージで入ったらきっと、そのあとのEveを知った時に、どこかEveに対して、安心する部分があると思う。イメージの転換だ。一方で、それ以前にEveを知っていた人ならば、「ナンセンス文学」で、ダークな面もあるんだなと衝撃的な事実を知ったことに。そう考えるとEveに関しては「ナンセンス文学」以降の楽曲がそれぞれのファンによるEveへのイメージを180°転換させたきっかけとなったということだとわかる。それぞれのファンが、楽曲を聴いて、こう捉えていたEveが、実はこんなEveだったんだと。ただ、ゆるいもダークっぽさがあるもどちらに関しても、本当のEve。人の性格をひとつに絞れるなんてことはないのだから。それよりも、『おとぎ』を、きっかけにして、もっともっと、楽曲を通して、無色から、白黒、そして、色鮮やかな色まで、いろんな人間味のある面を魅せてくれることに期待したい。いままでもワンマンライブは行っていたEveだけれど、昨年のワンマンライブ『お茶会』や『メリエンダ』の開催で、またひとつEveの見る世界に新たな彩りを付けることとなったのだろう。

いま、なによりも楽しみなのは、2月6日にアルバム『おとぎ』がリリースされること。こちらに収録された「僕らまだアンダーグラウンド」のMVは、Eveが好きな世界観がしっかりと描かれているものになっていると思えた。Eveの良いところは、着実に自分の好きなものを自分の作品に取り入れていっていること。なにより、ひとりではなく、直接のやり取りを通して、好きなクリエイター達とともに、素敵な作品を作り上げていること。いま、そのチームワーク力は留まることを知らないほどに大きくなっていて、特に「僕らまだアンダーグラウンド」のMVを観たときにそう感じた。自分で映像を作ることはないけれど、そうでなくても、ここまで素晴らしい作品を作り上げるのにも、あらゆる努力が必要だろう。好奇心旺盛で周りを巻き込む力が特段あるEveだからこそ、楽曲以外の映像などにまで、磨きがかかる。それは素晴らしいことだと思う。Eveの楽曲には、いまではクリエイターと新しく作り上げるオリジナルのMVが欠かせないものになった。

『おとぎ』収録の「アウトサイダー」「トーキョーゲットー」など既に公開されている曲以外は、いままでのEveのアルバム収録曲とは異色の歌詞、サウンドとなっていること間違いない。『おとぎ』を聴いたらきっと、映画を観ることに近い感覚で、その『おとぎ』の楽曲の物語に引き込まれてしまうと確信している。