since 2018.01.01

1991年生まれのライター/千葉/ボカロ、歌い手界隈中心

曇天下の広がる海から

冷凍庫のなかのように冷えた空気、風、聳え立つ草木の匂い、自然、曇空、下に見える街 真っ直ぐに見えるのは壮大に広がる緑色がかった波立つ海、手前の海とその奥の海の間は二重層、奥は手前よりも深緑色。

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ずっとその先を見ていると、自分がいかに海から見たらちっぽけな存在ということに気付く。人は小さい。

海ではないけれど、海を越えた海外に行くと知れるのは 世界は広い レストランでは話しかけるタイミングさえも難しいと思えるほどにみんな殺伐とした感じでせっせと動いている なにより周りの目を気にしない大胆に行動している ということ。

それで、そのあと、日本に戻ったときに思うのは、日本人は丁寧すぎるほどに丁寧 水だって言わずとも無料で持ってきてくれる 大胆に行動する人は少ない レストランの人にせっせと動くイメージはあまりない ということ だから、日本で住むのが当たり前になると確かに居心地はよい。けれど、海外で見たあの大胆で周りを気にしない環境からは離れることになるから、いつの間にか肩身の狭い生活を強いられ、知らないうちに圧迫されている気持ちになるもの。

時間の経過とともに、海外で広くなっていたはずの視野は狭くなっていく。

そうなると、また海外に行ってあの時感じた価値観を求めに行きたい、そう思う。

でもあの頃のようにしょっちゅう海外に行くことができるわけではないから、海を見たのはとても、よかった。大したことではないけれど、普段感じない自然を感じて、海からインスピレーションをもらえた気がした。

海を越えればきっと海外だから、一瞬視野が開いた感覚になる。自分が考えていることは自分にとっては大きなことかもしれない でも、世界は、やはり広いから、世界単位で考えると、同じ悩みが小さく見えてくる。世界の広さは余裕を与えてくれるということ。絶対に自分主観に考えてしまうよりも世界(俯瞰の目で)から見た、自分を考えるほうが余計な重荷にならなくていい。

ほかにも、感情に左右されやすい時に誰かの言葉が、自分の感情をセーブしてくれる時もある。

その誰かはある意味で、世界の役割を果たしている。