since 2018.01.01

1991年生まれのライター/千葉/ボカロ、歌い手界隈中心

日の出の波

普通の幸せとはなんなのか。日頃から周りの幸せに敏感な態度を示して生きてきた。そして、いまも、その態度は根深い部分にあって、何も変わらない。

周りの人々に見えていたものを、自分の中に見ることができるようになったのが、昨日の経験。

 

これは、私が憧れていた世界。想像していた世界。何も特別なことはなく、普通のこと。でもその普通が愛おしい。

いま、私は想像の世界にいるようで、現実にいる。やっと、私もいま一度手に入れることができた。

 

なぜか、心がざわめき始める。

 

フェリーに乗って、海の波立つところを見ていた。波を心に例えてみる。


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この上なく、幸せだと感じているいまの私。少し遠くの方から波が寄せてくるように、確かに幸せなるトキメキのような炭酸が心の中心めがけてやってくる。でも、その瞬間に、自分の根深いところにいまだに宿る外部を羨ましく思う気持ちと同様の、自分はどうせ上手くいかない、そんなマイナスにも似た感情が湧いてきて、せっかくやってきた幸せの波を押し避けてしまう。やがて、波の動きは行っては来てを繰り返すようになり、あるのは不安定な心だということを実感する。時に、幸せ、根は相対、ならば、いつまでも不安定。

波立つ海がそんな答えを私に教えるようだった。

 

幸せだと思っているのに、果たして本当にそうなのだろうか。

 

きっと、根本のマイナス部分をなくせば、不安定ではなくなっていくのだろう。でも、人は間違いなく、マイナス部分を持つことで心無しか安心する部分もあるように思う。

例えるなら、仕事。本当に嫌なことばかりだった。信じられない人をたくさん見てきた。でも、その怒りが、自分の活動の原動力になっていたことだけは確かだった。嫌なことがあるから、ほかで力を発揮できて、その経験は間違いなく自分を強くしている。マイナス感情は敢えての心の予防線。だから、いつまでも、この根の部分が消え失せることは無い。

いうてみれば、すべてのマイナス感情をとっぱらえた時というのは、想像力の終わりなのかもしれない。だから時々湧き出るマイナス感情はそのままに生かしていくが吉。

 

ということで、途中で感じる感情は波のように動きを繰り返していたわけなのだけれど、昨日を1日経ったいまから振り返れば、幸せという答えに尽きることに気付いた。なんやかんや、終わりが良ければ良しという結末になるのかもしれない。そう、思おう。