since 2018.01.01

1991年生まれのライター/千葉/ボカロ、歌い手界隈中心

空気感

3月の下旬。ふらーっと、外に出ると目立った風もなく小春日和といえるそんな気候。

 

この季節、花粉症の人も多く、多くの人がマスクをしている。マスクをすれば、外の空気をシャットダウンできる。マスクのシャットダウン機能は結構落ち着く。それはいろんな意味で。自分の表情はシャットダウンしてくれるし、空気中に浮いている菌もシャットダウンしてくれるから。せっかくの天気だから、そんなマスクを一瞬でも外してみる。

 

息を吸えば、外の空気が体全体に流れ込むように舞い込む。なんだか、春を連想させるような花の香りが、空気と混合している。とても穏やかで心地よい。

 

その正体は、金木犀という花だった。金木犀の香りは、春という季節を実感させる。香りで春を感じられる。この経験に、近いものでいえば、音楽。昔よく好き好んで聴いていた曲を久しぶりに聴くと、言葉のフレーズや、懐かしい伴奏によって、一瞬でその当時の情景が目の奥に思い浮かぶことがある。音楽で、過去の空気感までもを思い出せる。

 

この世はほとんどが形のあるものでできているけれども、形のないものによって感じるものの方が、生きているという実感を持てる傾向にあるように思える。というのもそれは、例えば、形のあるものには、人は慣れてしまう傾向にあり、気付かないうちに当たり前が増えて初心の気持ちを忘れていたりする。その一方で、形のないものにはいつでも新鮮な気持ちでいられることが多い。

 

いつでも真新しい気持ちを持てることが、生きているという実感を持てることでないだろうか。

 

意外にも、目に見えないものによって、私たちは支配されている。自らの五感を大事にしていれば、自らを成長させてくれる武器になり得る。目に見えるものより、見えないものに、心配りをして、日々を過ごしたい。

米津玄師のLemonに重ね合わせる記憶  

私の社会人一年目といえば一言でいえば、不幸。 社会人としてまだ足りない部分が多い私に同僚や上司は必要以上に 罵り、 大した人間ではないと思える同僚に人格を否定されたこともあった 。だが、 そこで心配して声を掛けてくれるような優しい人はいない。 逃げ場のない私は耐え切れなくなると、 逃げ場を探すようにトイレに駆け込んでは泣いていた。【 受け止めきれないものと出会うたび 溢れてやまないのは涙だけ】常に殺伐としていて、心苦しい日々。 やがて、一年が経ち異動が発表されるシーズンになる。 転勤してくるのは新しい支店長だった。Lemonでいう光は私に とっての支店長だ。 ここからは支店長のことを彼と呼ぶことにする。 歓送迎会の日は一年目の研修があったために私はひとり遅れて着い た。着いた瞬間に案内された私の席は彼の目の前の席。 一息ついた途端、斜め横のほうから「 なんでこんなに遅くなるんだろうねー」 と支店長と同僚が嫌味を言うようにひそひそ話している。 嫌な空気感だった。 私はいつものようにその場にいられなくなりトイレに駆け込み、 泣いた。その時の私は「 彼に泣いている弱虫な自分を見られたくない。 彼も私を悪く言う人だったりして」と空回る気持ちでいっぱいで、 私はぐしゃぐしゃの顔で席に戻ると赤い顔が恥ずかしくて下を向い た。【胸に残り離れない 苦いレモンの匂い】 苦いレモンの匂いとはしょっぱい涙の味を比喩表現しているのでは ないだろうか。

その時間は長かったが、電気が消え、ノリの良い音楽が流れ始め、 お店の人が彼への歓迎のケーキを運んできた。 そのケーキを載せたお皿には文字や可愛らしい絵が描かれていて、 私は彼に「こっちにおいで」とでも言われたのだろうか。 どういうわけかその時私は彼の隣に座っていた気がする。 ろうそくの火が消え、拍手の音の余韻がなくなり落ち着いたころ、 彼はケーキを指して私に「可愛いね」といった。 たったその一言だけで、私の中に唯一の光が見えた気がした。 それからのこと、 その出会いを境に私の毎日はみるみる変わっていくことになる。 彼は決して周りと一緒になって私を罵ったりせず、 私という人間を知ろうと深いところまで付き合ってくれる人だった 。周りの同僚にも「本当は面白くていいやつなんだ」 と言ってくれたりもした。 そのおかげで驚くことに周りの私に対するあたりはなくなっていっ た。嫌なことがあったときは私の表情だけで気付き、 誰よりも早く「なにかあったのか?」と声を掛けてくれて、 私の不満を解いてくれた。 私が嫌な思いをしたときに彼がそれに気づかなかったことはなかっ たと思えるくらいに。【何をしていたの 何を見ていたの わたしの知らない横顔で】

彼と出会ってから私は幸せで、嬉しくて流す涙を知った。 私を大切にしてくれる彼の喜んだ顔が見たくて、 悲しい顔が見たくなくて、 私は彼のために仕事を頑張ったといえる。ある時、 友人に彼のことを話したら、「 同期だったらいい感じの二人だよね」といわれ、 いっときは恋をするときの感覚にも悩まされたことがあったほど、 彼を前にして顔が赤らんでしまうときもあった。【自分が思うより 恋をしていたあなたに あれから思うように 息ができない】

幸せな日々は約二年間続いた。三年目の春、異動が発表され、 彼と私だけがそれぞれ別の場所に転勤になる。 うすうす彼が転勤ではないかと感づいてはいたが、 知った時は涙が止まらなかった。彼には「 新しいところでもお前ならやっていけるよ。 今までが大変すぎたんだから。 みんながみんなひどい人でもないよ」と言われた。 自分でもわかっていることだ。

【きっともうこれ以上 傷つくことなど ありはしないとわかっている】

だがそれ以来、彼とは会っていない。 私が容易に彼に連絡を取ったら今までの彼に頼っていた自分と変わ らないと思われそうだから。 きっと彼は自立した私を望んでいると思う。【 あんなに側にいたのに まるで嘘みたい とても忘れられない それだけが確か】

彼と出会わなければ私の暗い過去に終わりはなく、 今日の今日まで続いていたかもしれないと恐ろしいことを考える。 【戻らない幸せがあることを 最後にあなたが教えてくれた 言えずに隠してた昏い過去も あなたがいなきゃ永遠に昏いまま】

どんなに辛いことがあっても彼と居られる時間があるだけで私の心 はひとりではなく、 どんな日々でも日が落ちるころには愛せていたような気がする。【 あの日の悲しみさえ あの日の苦しみさえ そのすべてを愛してた あなたとともに】

今も辛いことがあると彼と居た時のことを思い出す。 今も私の心の中にはあの頃の彼がいる。彼の気持ちだろうか。【 どこかであなたが今 わたしと同じ様な 涙にくれ 淋しさの中にいるなら わたしのことなどどうか 忘れてください そんなことを心から願うほどに】

孤独だった私がひとりではなかったと思えた二年間の記憶。 今もこれからも先も彼は私にとっての光で在り続ける。 一緒に過ごせたという事実があるだけで私は十分生きていける気が している。【切り分けた果実の片方の様に 今でもあなたはわたしの光】

 

 

ポートフォリオに乗せてない執筆記事↓

ハッピーメール

 

https://happymail.co.jp/happylife/meets/women-in-their-40s/Log=newspa

 

https://happymail.co.jp/happylife/meets/women-in-their-30s/Log=newspa

 

https://happymail.co.jp/happylife/love/overcoming-negative-thinking/Log=newspa

UVERworldを応援する人の心はUVERworldと共に成長する


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私は、26年間生きていることになるが、その中で約10年間は彼らを応援し続けている。
高校1年の時から今までずっとUVERworldの成長を一緒に見てきたような気がする。そしてこれからも応援し続けることには変わりない。
彼らが爆発的に人気なのは、本音を言うアーティストであるからだろう。
デビュー当時の曲とここ最近の曲の系統は大きく変わった。今は、SHAMROCKや、君の好きなうたなどの大衆的な歌よりも、コアな曲を出している。
彼らが今全く別の進化を遂げたことを知らないでいる人も多いのではないかと思う。なぜなら、私もUVERworldのファンであるから、カラオケに行って何歌おうかと迷う時は、
UVERworldの歌歌って」とよく言われる。「何がいい?」と聞くと、だいたいSHAMROCKか君の好きなうたの2パターン。当時はランキングでもよく流れていた。
そもそも曲のテイストが変わったということは全く悪い方向の意味ではなく、良い方向へ変わったのである。

何が変わったのか。それは、本音を言うようになったということ。
人はなぜ音楽に夢中になるのかを考えると、共感したい、強くなりたい、そんなところから来てるような気がする。
実際に私は自分がUVERworldのファンでいるということだけで気持ちが強く持てるようになった。

今のUVERworldの曲には世の中の馬鹿げたところを、普通なら言えないようなことを歌詞にして、訴えている曲が多い。どこにでもあり、誰でも歌うような表面的な歌では心に正直響かない。
苦労した話であるほど人の心には響くものがある。
ボーカルのTAKUYA∞は自分の感じたことをそのまま歌詞にする。世の中に対しての疑問、苛立ちを無視しない。
生きていると疑問がたくさん生まれるが、UVERworldの曲を聴くと共感できるところがたくさんある。

最近のUVERworldの曲で初めて聴く曲は、最初は違和感があり、聴き慣れないことが多い。だが、聴いていくうちにそのリズムに乗り始めてとても好きになっていく。ここがすごいところ。聴けば聴くほどにハマっていく曲を作れるのがUVERworld。これは10年前と変わらない。私がハマり出した頃は賞味期限のない曲を作りたいというTAKUYA∞の名言があった。

曲のテイストがどんな方向へ行っても変わらない部分。UVERworldの根源としてあるものは今も変わっていない。自分の気持ちを歌にするような歌詞を書くようになってからUVERworldはどんどん大きくなっていったし、とても強く見えるようになった。

ボーカルのTAKUYA∞は今やとても強い人間のように見えるが、そう見える裏側には様々な挫折があった。そして、今TAKUYA∞は走る。ファンが離れていかないことを願いながら走ることを続けている。信念を持って、歌を歌い続けて、言いたいことはファンに伝える。こんなことができるTAKUYA∞を心から尊敬している。

また、TAKUYA∞は才能でここまできたような人ではないと思う。もちろん才能はあるけれど、それよりかは努力でここまでやってきた努力の塊のような人だと思っている。

だから昔からTAKUYA∞は、何かを始めるのにも遅すぎることはないと話してきた。それは自分の経験(努力)から。

努力してきた当人だから言えることだろう。

だからこうなりたいという目標がある人はUVERworldの曲を聴いてみるといいと思う。

努力で夢を叶えた人たちがUVERworldなのである。
綺麗事は決して言わない、本音だけを言う。
LIVEのMCで放つTAKUYAの言葉はいつだって本音だった。だからこそ何かを頑張っているファンの心に大きく届くものがある。

ちょっと自分を見失いそうになっている人や、強くなりたいと思っている人はUVERworldの曲を聴くと自分を取り戻し、強くなれると思う。それはUVERworldはいつも前を向いて生きていけるような曲を作ってくれているから。
底から這い上がってやるという精神を持てるような曲ばかりである。

彼ら自身の培ってきたもの(魅力)がUVERworldの曲に現れている。

Mrs. GREEN APPLEの本質


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Mrs. GREEN APPLEというバンドは、耳に残りやすいポップな曲を作ることが得意でありながら、人間の黒い部分を歌った曲もありそのギャップもとても魅力的に映るアーティストだと思う。
例えば、サママ・フェスティバル!は子供にも大人にも好かれるような曲で、最初はなかなか聴き慣れなかった曲でも聴き続けていたらいつの間にか口ずさんでしまっているくらいの曲。人間の黒い部分を歌ったような曲には、20歳としては感じるのが早いのではないかと思える世間に対しての感情を剥き出しにした曲もあり、ボーカルの大森元貴の経験からなのか、普通の20歳とは視点が違うことが伺える。大森元貴が作るMrs.GREEN APPLEの曲を聴けば聴くほど、大森元貴はとても繊細で、多感的な人なのだと思う。そして、哲学的なところも時々感じる。

Mrs.GREEN APPLEの曲は先程話したように明るい曲と暗い曲がある。だが、そこよりもっと魅力的だと思うところがある。
それは、寂しいを表した曲が多いこと。どうしてこのような曲が生まれるのかは大森元貴の経験からなのだろう。

大森元貴の本当はわからないが、曲を聴く限りにとても寂しがり屋な性格なのだと思う。実際に自分は寂しがり屋だと感じたことのある人は、誰かとの出会いで寂しがり屋の自分を知る人がほとんどだと思う。
どの歌で感じるか。例えば、日々と君、Hug、L.Pなど。日々と君については、誰かに気付いて欲しいと願う私をある一人の人が救ってくれたという歌詞。この歌詞に出てくる人物は2人。やはり出会いがあっての話である。更にこの曲で感激したのは聴く限り、救われる人の気持ちと救ってくれた人の気持ちを歌っているところ。大森元貴はどちらの気持ちも経験しているのだ。経験していなければ、この歌詞は作れない。

ここが魅力の一つだと思う。どちらの気持ちも感じているからこそ、素敵な歌詞が書ける。Hugは本当に寂しいことを訴えているような歌詞でL.Pはもっとも感情的。

寂しいを表すことがここまでうまく出来るアーティストはなかなかいないのではないだろうか。気持ちがとても伝わる。

これがMrs.GREEN APPLEの魅力だと思う。

米津玄師の曲の特徴


f:id:u-world:20180629215054j:image米津玄師を好きな理由。それは人それぞれ異なるが、米津玄師のどこがいいの?と聴かれたら、
私はこう答える。「あなた」と「あたし」を歌っているからと。


歌詞に登場人物が出てくると、聴く人は自分や他人に置き換えて曲を聴くだろう。米津玄師の曲にはある男女の出会いについて、書かれたものが多い。しかし、それは単なる恋愛話ではない。どちらかというと深い愛を歌っている曲。


米津玄師の曲に出てくる主人公は、味方がいないままひとりで戦っているという場合が多い。そして、その人はある日突然運命的な出会いを果たす。その出会えた人と一緒に過ごす中で、驚く程に人生が良い方向へ大きく変わっていくという話になっている。しかし、話はここで終わらない。最後には別れが来ることまでちゃんと歌っている。ここまで、物語がしっかりしているため、まるで本を読んでいるような気持ちにもなるくらい。米津玄師の曲は現実的など話が多いため、聴く者を感動させる。
実際に米津玄師もそういう経験をしているからこそ、このような歌詞をかけるのだと思う。

アイネクライネ

眼福

花に嵐

トイパトリオット

ホープランド

orion

春雷

かいじゅうのマーチ

例えばこれらの曲が、運命的な出会いをしたある男女の話が描かれている。

この中のアイネクライネのMVは米津玄師の描いた絵であり、サビで、ある女性の涙が零れるシーンがある。そのあとで、ある男性が女性を優しく守る様な目で見つめる。とても温かい気持ちになるし、本当に感動的。
あなたがいるだけで私は幸せだったというような話になっている。また、大サビの前の間奏部分でカラフルな映像が流れるところがある。この時に聴く人は色々なことを思い出したり、感情的な気持ちになったりするのではないだろうか。
色々な色が出てくる映像を作ったのは米津玄師の美術的な感性の素晴らしさだと思う。
また、曲に使われる音が自然を思い出させるような音だったり、曲によってはとても柔らかい音を使っていたりする。

米津玄師の魅力はいくつもあるが、米津玄師の言葉の選び方に関しては、才能に溢れていると思う。サラリと歌いこなす言葉一つ一つに美が感じられる。現代の人と思えない難しい言葉を歌詞に使うところも他にはない才能を感じる。例えば、春雷という曲では「たおやか」という言葉を使っているが、なかなか今の人が普段使う言葉ではない。しかし、米津玄師が使うとその言葉が開花されていくような感じ。

他にも、米津玄師に関しては、よく「あたし」と言う言葉を使う。米津玄師が口にする「あたし」は聴いてるものに対しての違和感が全くなく、むしろ綺麗に聴こえる。これも米津玄師であるが故の芸術的なセンスであり、魅力だ。ただの言葉を魔法にかけて、素敵な言葉に変換することのできる力を持っているようだ。アーティストは言葉をリズムに乗せて歌にして、人の心に言葉を届けるものだけれど、届ける言葉自体を洗礼してくれているような。一味違う印象。料理で言えば、何か少し隠し味を付けて料理を出したようなそんな感じ。

歌は作る、絵は描ける。書く文章も普通の人が書くような文章ではない。最近ではダンスも踊れることが判明。芸術的センスに光った人でありながら年は26才。
次は一体何をしてファンを喜ばせるのか。期待が持てる。米津玄師は今後も多方面で活躍出来るアーティストであることは間違いないだろう。