since 2018.01.01

1991年生まれのライター/千葉/ボカロ、歌い手界隈中心

Darlington/Doctrine Doctrine ほぼ200字レビュー

ドープな声を自由自在に操ることで七変化する歌い手、宮下遊と2000年代UKロックの影響を受け、現在サラリーマン兼ボカロ制作を手掛けるseeeeecunによる初のユニットアルバム。動画サイトで話題の「脳内雑居」「ローファイ・タイムズ」「雲散霧消」も収録。酸いも甘いも噛み分けたようなseeeeecunの詞に、宮下遊が声のマジックを施すことで楽曲ごとに生きた感情が宿ったようなエッジーなアルバムになっている。
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階段と隣合わせのエスカレーター

「自分明日休みなんですけどー、今日一緒に飲みませんかー?(同僚)」「疲れてるから、ごめん(私)」

こんな電話のやりとりから、お互いの気分について、真逆的なもの(上下)を感じ、一瞬で私の脳はその違いを階段の上りと下りに変換していた。階段を上っていく(テンションも上がっていく)のが同僚で、階段を下りていく(テンションは下がっていく)のは私。確かに仲はいいけれど、いま、疲れ切っている私からすると、同僚の楽しそうな声はあまり欲しくはない。一瞬で、気持ちに明らかな差が生まれていくのがわかった。

とてもブルーな感情になっている私には、誘ってもらったことへの嬉しい気持ちも芽生えず、それよりか、"今は誰かと飲んで4時間程度を過ごすより、一昨日に買ってウォークマンに入れたCDアルバムの曲を一秒でも早く聴いていたい。"という篭もりがちな気持ちの方が強かった。今までであれば「行くー」と答えていたはず。気分屋ということもあるけれど、最近の頻繁な飲み会のおかげで、飲み会が好きだなーと思っている私が誘いを断るなんて、割と珍しい。最近は割と疲れているから、仕事終わりに、ジムへ直行しようというような有り余った元気もない。

2人の真逆な感情については、階段で例えるより、隣合わせの上下逆のエスカレーターにそれぞれがいるといえば、少しはわかりやすくなるかもしれない。エスカレーターのそれぞれにいる2人は、顔を合わせることはあるけれど、永遠と居場所が一致することはない。無駄に天井も底も見えないまま上り下りしていく。だから無駄な道というものは、意外と長く歩いてしまって後々振り返って後悔することがある。 ただ、もし階段がひとつしかなくてその上でのやりとりならば、いつか2人の居場所は一致する。運命的なものも、ひとつの階段をきっかけにやってくるのだろう。案外上手くいく時は、階段で物を落とした人にすぐに声をかけることができるように、トントン拍子に進むことが多い。

決めつけてしまうのは、もちろんいいとは言えないけれど、ダラダラ時間だけが過ぎるのは勿体ない。

きっと2人はひとつの階段上ではなく、別のエスカレーターを上り下りしていく。そう思って、断ってしまっただけの話。

ないものねだり

自分を除いた周りの環境がみるみる変わってきたことに気付いてきた。

変わりたいと思って頑張ってきたつもりだったけと、ここ最近割と私は置いてけぼりな感情を味わっている。

虚しいことに、今日はこのままここにいても存在意義がないとさえ思えてしまった。

いざと言う時に頼れる人がいるひとたちとは違う。いざと言う時にはここにいる人達は当たり前だけど私を優先するわけがない。むしろ、良い踏み台にされて行きたい方向へ、遠くへ消えていくのではないか。全くもって悪い人たちではないけれど、私は自分を下げる。

どんなにその場所が楽しいとしても、その先には永遠の友以外のものであるのならば、一寸先は闇の状況に陥る。

人の不幸を願うことは根からない。結局は自分にないものを持つ人達は輝いて見えて、ただ、羨む心が生まれるだけの話。

そんなことが、頭で一瞬よぎってしまったのだ。だから空気を読んだふりをして店を出た。

「救われたい」と思う割には、ひとより救われないのは何故?ないものねだりは返って負の連鎖を引き起こすのだろうか。

 

今電車を待っている。

 

みるみる周りだけが変化して大人になって、私だけが子供のままでひとり取り残されたとする。そんな自分はまるで、例えてみるとしたら、刷新されない電車や椅子、壁のようだ。私はモノと同じ気持ちで今、変わっていく人たちを見ている。

モノは刷新されなければ、ずっと古くなっていく。モノから見える景色は歩く人達。姿も服装も変わっていく人達。それと、対称的な変わらないモノ。

変わらないモノが私で、歩く人達は私の周りの人達。そんなイメージが出来上がるのだ。 例えば、酷くいえばそんな感じ。

でも、私たちはモノではないので、モノから見た私はどうだろう。意外にも外見は新しくなる私を見て、新しくなっているように見えているのかもしれない。

刷新されないと変われないモノよりかは、私の方がまだ、マシなのかな。視点を変えるだけで案外、幸せだったりすることもあるの。

モノに感情はないけれど、感情がもしもあるとしたら、モノは今の私の感情なのかと思った数分。

EveとSouの初のツーマンライブ『蒼』。追加公演も先行して発表

EveとSouが、5月5日にyokohama Bay Hallにて初のツーマンライブ『蒼』を開催した。

EveとSouはこれまでYouTubeニコニコ動画で2人によるコラボ動画をあげる仲であり、今年の2月28日には初のコラボアルバムである『蒼』をリリースしたばかり。『蒼』にはツーマンライブ抽選券が封入されていて、当選したファンが今回のツーマンライブに招待された。

 

バンドメンバーがスタンバイし始めた頃、ファンの歓声と共に、EveとSouが現れ、「明星ギャラクティカ」から2人のライブはスタートした。EveとSouは、ぱっぱぱーやという歌詞を楽しみながらファンとともに歌い、1曲目は流れるように終わる。続いて、いかにも祭りに似合うような楽曲である「おどりゃんせ」も歌い、会場の雰囲気は盛り上がる。

 

そして、Eveがステージの右側に捌け、姿が見えなくなったところで、Souが真ん中に立つ。Eveが書き下ろした楽曲「チョコレートタウン」が流れ始めた。

なんとなく、会場の人は勘づいただろうが、歌を歌うSouから緊張度合いが伝わってきた。

「チョコレートタウン」を歌い終え、緊張していたSouを応援づけるようにEveが現れ、Souに代わり、真ん中に立つ。Souはステージの左側に捌ける。

Eveの「Dr.」はイントロから独特なオーラを放ち、不思議と心を掴まれるような感覚に陥るのだが、独特な感性を持つEveの歌声にはぴったりな曲。音を外さずに歌うEveの声はどこか余裕を感じさせる。途中でEveが「にゃ!」と言うセリフがあるのだが、それを言った瞬間、待っていたファンから「きゃぁー!」と一声が上がった。


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続けて、「雨とペトラ」を披露したが、Eveは歌の印象に表情や手振りを合わせ、淡々と熟す。

 

MCでは、Eveが「始まる30分前くらいに楽屋でSouちゃんが緊張するー。って言ってて、自分のぬいぐるみを叩いてたんだよね」「やばいよきみ」と話し、会場はほんわかとした空気、そして笑いに包まれた。

最初のMCでは特にSouが緊張であまり言葉を発しなかったため、Eveが「あれ、僕しか喋ってないけどこれ大丈夫?笑」とSouに尋ね、笑いが生まれた。

 

Souの「ナンセンス文学」では、サビの「ラッタッタ〜」でお馴染みのひとつめさまの手振りをSouが真似し、手を靡かせた。

 

また、MCに入ったところで、Eveは「2人で初めてコラボした動画の曲を歌いたいと思います。」と話し、歌われたのが「アンドロメダアンドロメダ」だ。


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ナユタン星人の曲を愛する2人にはぴったりな曲。2人がここまできて、2人のイメージを作ったのはきっとナユタン星人の曲であり、ツーマンライブをするようになったのも「アンドロメダアンドロメダ」がきっかけと考えれば、2人にとってナユタン星人の楽曲は神なのだろう。

 

Souが「帝国少女」を歌うときには、イントロが流れた瞬間にファンから波のように歓声が上がる。Souが楽曲に合わせ、色気を出し、口を滑らせるように上手く言葉を操る。緊張が伝わってきたように顔に気持ちが出やすいSouだったが、「帝国少女」を歌うSouは、やけに大人っぽかった。これがSouのひとつの魅力ではないだろうか。可愛いと思われる中の大人っぽさはギャップだ。少し緊張も解れ、自信があるように歌う姿は、さすが人気歌い手の理由を鏡に映し出したようだった。

 

それからEveは「メーベル」と「命ばっかり」を歌い、洒落た楽曲と暗がりな印象は、Eveの良さを引き出してくれていた。というよりかはEveが曲を更に美化してくれているような感じともいえる。特に「命ばっかり」は、Eveが楽曲を自分のものにしているような感じであり、歌詞も深いのだが、その一つ一つの言葉を大事にしながら歌うのが印象的で、言葉の意味を一つ一つ納得しながら聴くことができる。聴かせる歌は聴いているもののあらゆる感情を起こしてくれる。「遠くへ 遠くへ」の部分でEveが真ん中から右、2曲目の同じ歌詞の部分では左にといった具合に立ち位置を移動しながら歌う。場所を変えることでファンにとっては見やすくなることもある。ライブを数多くこなしてきたからこそ、見せ方を知っているのだろう。Souが歌ってる時に必死に観客を盛り上げようと手を上げたり、声を出したりする姿もたくましく見えた。

 

MCでは、「もう後半戦に入ってしまいました。早いねー!アンコールはあるけど...ね。笑 」と素直に話してしまう2人がいた。

Souという名前について、いろんな言葉にそうってついてるから、しょうがないよね。というような面白い話も出る。

ゲーム形式のMCもあり、「お客さん達はどこから来たのー?1人だけ当てるやつやろー」とEveがいった。1人は当てられるようで当てられなかったが海外からのお客さんもいたことがわかる。

 

ラストの「ハイタ」では、EveとSouが手拍子をし、ファンも2人に合わせて手拍子を真似た。みんな、楽しく手を合わせていた。

そして、2人は「ばいばーい!」とステージから去った。

その瞬間に、ほとんど時間を置くこともなく、ファンからアンコールの声が繰り返される。

暫くしてやっとバンドメンバーの3人がステージ上に現れ、EveとSouも現れる。

 

アンコールだ。

歌われたのは『蒼』の特典CDに収録されている「ロメオ」。

また、「以前、Souちゃんと初めてあるライブで2人で歌った曲があるんですけど、それを最後に歌いたいと思います」とEveが話し、最後には「ウミユリ海底譚」を披露。

 
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そして、会場に来ていた人達に先行で知らせたいことがあると言ってSou、そして、Eveから、それぞれ順番で「僕達、8月に追加公演をやります!」と発表され、驚きの声が会場内に溢れた。

途中でちょっとしたハプニングなんかもあったが、Eveは「お客さん皆さんが暖かく僕達を向かい入れてくれたので、ワンマンみたいな感じで落ち着いてライブができました。ありがとうございました」と話し、2人で客席に向けて、頭を深く下げた後に、EveとSouは早々とステージを去り、『蒼』を締めくくった。

 

 

Eve Souツーマンライブ『蒼』2018年5月5日(土) yokohama Bay Hall SETLIST

01.明星ギャラクティカ
02.おどりゃんせ
03.チョコレートタウン
04.Dr.
05.雨とペトラ
06.ナンセンス文学
07.tig-hug
08.い〜やい〜やい〜や
09.アンドロメダアンドロメダ
10.彗星ハネムー
11.はくしの春
12.帝国少女
13.メーベル
14.命ばっかり
15.ないものねだり
16.フェイク
17.ハイタ
en01.ロメオ
en02.ウミユリ海底譚

 

 

Eve Souのツーマンライブ「蒼」の追加公演は8月29日に東京・Zepp DiverCity TOKYOにて行われる。


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原点こそ本質

生きているうちには、ふと横道に入ってしまうことも大いにある。というよりかは、横道に入らないで真っ直ぐな道を進み続ける人はいないだろう。迷いや悩みが出てくるから、逸れたくなる。何度ふらついたとしても、自分のスタート地点(原点)を知っていれば、思い出すことにより、また元の道に戻れる。スタート地点に戻ることは自分を元の位置に正すことで、そこからやり直すということ。

 

例えば、音楽が好きな人であれば、あるアーティストの曲を聴いた時に原点に戻れた気分になるということはないだろうか。その人にとってのスタート地点はそのアーティストの曲であり、曲を聴くことによりスタート地点に戻れるのだ。また、昔の曲に限る訳ではなく、最近の曲でも同じ。同じ人達が作っている曲だから、基本的に曲作りのスタンスは変わらないし、根本的なスタイルも変わらない。スタート地点に戻った時にやっと自分の大切にしたいと思っていることを思い出せる。

 

例え、横の道に逸れてしまうようなことが起きたとしても、自分の原点に戻れる場所があるのなら、軌道修正が効く。

 

もし、自分の定位置といえる部分がなければ、横道に逸れたままフラフラ歩き続け、自分が誰なのかもわからなくなるようなそんな感覚まで陥る時もあるかもしれない。自分を見失うことは自分の終わりともいえる行為である故に、自分を持つことはどんなことよりも必要。

 

原点は本当にただひとつでよくて、それだけ自分の心でわかっていれば良い。一瞬でも本当の自分に戻れる感覚を日頃から作っておけば、気持ちも楽になるし苦労はしないだろう。

飛行機

心は一点集中したかと思えば、ぐらぐら揺れ始めふわふわ別の方向に飛んでいく。こんなふうに最初決めたものからそれは単なる理想でしかないと感じた時に諦めの心が生じ、悲しくならないようにさらっと重点を変えようとする。

 

悲観的になることを回避するために、自分の気持ちを押し消すようにぐらぐらしてきた気持ちがまるで気持ちが生きてきたようなイメージで自然と飛んでいく。心ここに在らずという現象。

 

ただ、それを繰り返すことで自分の意思が弱くなり、消極的になっていっていることにも気付く。 

 

飛行機が離陸していくように、一点を真っ直ぐ見つめながら定まった心で居られる環境があればいいのだろうか。

存在って。

たまーに思う。これも終わり。挑戦すればあれも終わり。私は納得いくところまで考えないと、次に進めない性格。しかし、最近は全部が全部ということではないが、理由がわからなくても考え込まずに「しょうがない」と割り切れる大人になれた。それがいいことか悪いことかはわからない。ある意味諦めの心は自らを諦めるという寂しい人間になっているのではないかとも感じる。大人になることは諦めること。これでは成長しない気もする。とことん考えるべきことは今までと同じように考えて、割り切るべきことは割り切る。きっとこれが一番。もう終わったかと感じたことには、自ら気持ちに終止符を打ち、新しい気持ちで新たな目標を心に誓う。気付いたらいつもループしている。終わることが多いのなら、ある意味傷付くことが多いということ。傷つく為に私は歩いているのかとたまに思う。目的はひとつ。そのために歩いてる。それなのに、目的を達成出来る気が全くもってしない日々。

何のために今これをしているのだろう。果たして私の人生に貢献していくものなのか。時間を他のものに代替してしまったら充実感とか目的が見つかるのだろうか。ぐずくずして、のらりくらりと過ごす中、やっと楽しみなことがひとつ出来た。あともう少し、そのために頑張ろう。あともう少し...今日も一日頑張れた。やっとのところで、また、終わりだ。なんのために、私はここまで気合いを入れて頑張ったのだろう。ほら、登り詰めた山頂から一瞬で転げ落ちていくような感覚。あー、もうやだなってまた溜息。

どっちにしても、転がりループする人生。

山頂で綺麗な夕日、景色を心置きに楽しみながら見れる日は来ないのか。果たして自分はなんのために生きている?明るい未来は存在する?などの問いが頭上に現れる。ずっとずっと、頭の中には迷路のように抜け出せない道が続いている。