since 2018.01.01

1991年生まれのライター/千葉/ボカロ、歌い手界隈中心

自由になりたい気持ち

仮面を被った僕はもういない

「僕はもういない」のAメロにもあるように、彼はデビュー当時は夢見がちな少年だった。しかし、アーティスト活動をしていく中で、周りから天才などと呼ばれるようになり、いつの間にか彼は"こうなりたい自分"像よりも"みんなのいう天才の自分"像を作り上げていくことに必死になっていった。まるで誰かに山頂まで登れと言われるまま、ただ我武者羅に坂を登り進めていくように。そこで残酷なのは、登ってきた跡を振り返っても無心であり続けたために、どうやって登ってきたのかを覚えていないということ。だからきっと「僕はもういない」で〈仮面は形さえ記憶に残っていない〉というのだろう。この仮面は彼の裏の顔=偽りの自分を表していると思う。天才というイメージに縛られ、自分らしくいられない日々は彼にとって残酷で、楽しい過去をお覆い隠すほどのものだった。つまり、彼はリスナーの要望に応えるべく、素敵な音楽を作り上げてきた一方で、"自分が自分らしく生きていない"ことにずっと不自由さを感じ、もがき苦しんでいたのだ。彼がひたすらに突き進んできた跡にはモクモクと闇が掛かっている。このままここにいれば、この先の道も闇に掛かっていく。闇は自分で振り払うこともできないくらいに大きくなってしまったからこそ、意を決して新しい道を進むことに決めたのだろう。自分らしい生き方を優先することはとても大切なことではあるが、そこには何かを手放すことに対する不安と覚悟が存在した上での決断ということになる。つまり、彼の人生における重要な決断なのだから、辞めることを無責任だとは言いきれないし、彼も安易に考えたわけではないだろう。Twitterでは「結局のところ、他人からどう思われているのかに執着し続けた3年間でした。」とコメントしている。辞めること自体は、"これからは自分の気持ちを大切にしたい。自分らしく生きたい"と思った素直な気持ちからの判断。今までの彼が仮面を被っていたのであれば、ここで仮面を外した時からが彼の新たなスタートとなる気がする。

 

リスナーとして

私たちリスナーが本当の彼の心の闇を確信できたのは、彼がアーティスト活動を辞めると発表した時からであり、彼の心が感じていた闇の期間は少し前からの3年間だ。今の彼の闇っぽさを感じさせるTwitterの呟きは、少し前の期間の彼の感じていた気持ちだ。リスナーが彼の本当の闇に気付いた今この時でさえも、彼の心には消えない深い闇が残っている。しかし、それはもう葬りたい過去の話であり、今の彼の心には僅かながらも恐らく新しい未来への光が差していると思う。過去の隠していた気持ちを暴露することで過去を葬ろうとしているように思える。アーティスト活動は今すぐに辞める訳では無いが、もう既に彼は新しく"こうなりたい自分"像を描き始めているのかもしれない。だからこそ、残りの彼のアーティスト活動では彼を優しく見守るのが彼にとっていいことなのではないかと思う。

 

結果的に羨まれる

当然ながら将来どうなるかとかは誰にもわからないことだが、やりたくないことをやり続けるよりも、やりたいことをやると決意した人には芯があり、かっこいい。やはり彼はここでも他人から羨まれる行動をしているともいえる。才能がある上に勇気を持った行動をとることができる人だからこそ、他人に嫉妬される。例え、才能があってもそれを隠したまま生活していれば、誰からも羨まれることはないだろう。寧ろ誰もその才能に気づくことはないのだから。才能の先にアーティストとして行動してしまったからこそ、羨まれる存在となるのだ。だから、彼が押しつぶされてしまったのは才能の上に勇気ある行動が重なり、極限まで彼を彼自身が支配してしまっていたからではないかと思う。しかし、勇気ある行動は悪いことではなく、それを見た人が何らかの影響を受けて「じゃあ私も動こう」となることだって沢山ある。自分のやりたいことをやるといった彼の言葉から励まされる人だっているだろう。物事は表裏一体ではあるが、いずれにしても彼の前向きな姿勢で表す行動は他人から羨まれるものに行き着く。